天穹のバロン

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2016/12/31

第7回

| by kida

❉❉❉❉  Ⅲ  ❉❉❉❉

 

 2年目の春がやってきた。

入学式を終え、各部活が新入部員の勧誘で慌(あわ)ただしく動いていた4月半ばの土曜日。【Pu/t】のことで話があると、部活終わりに職員室へ呼び出された。

1年間、内野を見てきた上での結果だ」

「……わかりました」

Pu/t】として指導するか否か。上条先生からその答えを告げられた私は、そう答えることしかできなかった。

“登録させるのは難しい”――それが先生の出した結果だった。

私同様に、パイロットの資格取得を目指していた宮嶋君を【Pu/t】に選んだと先生は言っていたけれど、その声も途中から耳に入らなかった。

言葉が耳の奥で弾けて、頭の中から消えていく。寒気にも似た感覚が背筋を走って、心臓の動きを鈍(にぶ)らせる。一瞬、止まってしまったのではないかと錯覚するほどだった。

 どうして駄目だったのか、何が悪かったのか。宮嶋君が選ばれて、私が選ばれなかった違いは何なのか。

聞きたいことはあったけれど、それを聞く勇気も今はない。ただ「ありがとうございました」と言って、その場から逃げることしかできなかった。

「……駄目だ。少し、落ち着かなきゃ」

廊下で吐き出した声は震えていた。

自分でもはっきりとわかるくらいに動揺していた。駄目だった時のために心の準備はしていたつもりだったけれど、想像以上に落ち込んでいた。

このまま考え続けていたら、それこそ立ち直れなくなる。落ち着くまで、別のことで紛らわそう。そう思うと無性に墨の匂いが恋しくなって、書道部が部室として使っている2階の多目的室へ向かった。

 併設されている物品庫から道具を持って多目的室に入り、並んでいる机の一部を移動させて、書道ができるスペースを作る。

 床に広げたのは全紙用の大きな下敷き。小柄な女の子なら、2人くらいは余裕で寝転がることができる。そこに自分よりも大きな全紙をそっと乗せ、自らもその上に正座した。

 硯(すずり)に墨も入れた。

筆に墨も染み込ませた。

 あとは筆を走らせるだけ。

ただそれだけなのに。腕をつき、下を向いたとたんに視界がグニャリと滲んでぼやける。鼻の奥がツンと痛くなって、ポタタッ、タッタッと、大きな音をたてて、紙の上に涙が落ちた。

「どうってことはないのに、こんなこと……」

 言葉を口にすればするほど、悔しさや怒りがこみ上げてくる。

 どうして駄目だったの?

 何がいけなかったの?

 そんなことはわかりきっている。私が【Pu/t】になるには未熟だった。ただそれだけだ。

大人でさえ取得が難しいパイロットの資格試験を、心身ともに未熟な高校生の私が挑戦しようというのだ。先生の目が厳しくなるのは当然。

今は駄目でも、二度とパイロットの資格が取得できないわけではない。高校を卒業して社会人になってから、どこかのチームに所属して、それから受けることだってできる。道が閉ざされたわけではないのだから、泣く必要なんてどこにもないのに――。

 わかっていても、悔しいものは悔しい。

今でなければ、この時でなければ意味がない。高校3年間という短い期間の中で手にする。初めてのフリーフライトで空から景色を見たあの瞬間、自分でも驚くほどに手にしたいと思った願いだった。それが叶わないと思うと、自分では涙を押さえることができなかった。

この声が誰かに聞こえてしまうかもしれない。必死に声を押し殺していたけれど、我慢するほど涙は溢(あふ)れる。いっそのこと、大声で泣きじゃくってしまおうか。そんな思いに駆られた、その時――突然、教室のドアが勢いよく開いた。

 ハッとして顔を上げると、気まずそうな表情を顔に貼りつけた笠原さんが入口に立っていた。血の気がサーッと引いて行くような、あるいは心地よく寝ていたところを叩き起されたような。とにかく、驚き過ぎて涙がぴたりと止まった。

互いに言葉も交わさず、数秒ほど居心地の悪い空気が流れた。どういう顔をしていいのかわからず、私は視線を泳がせた。

「あ、あの……何か」

「……忘れ物、渡そうと思って」

 話を切り出した私に、笠原さんは手にしていたもの差し出した。それは私の上着だった。

片付けをしている内に暑くなって脱ぎ、ワゴン車の助手席に置いたままだったことを今になって思い出した。

 慌てて立ち上がったものの、いつの間にか足が痺れていたらしく、思うように歩けない。フラつきながら辿り着き、笠原さんから上着を受け取った。

「す、すみませんでした」

「いや、いいけどさ」

「……じゃあ、私はこれで」

「おいおい、何か言うことあるだろ」

 背中を向けたとたん、笠原さんが呆れたように吹き出した。

言いたいことはわかる。どうして泣いていたのか話せというのだろう。でも、今は説明できる状態ではないし、できれば放っておいてほしい。私は眉間(みけん)にシワを寄せ、半身だけ振り返った。

「何かって、何でしょう……」

「ここまで気まずい現場見せておいて、説明ナシ?」

「……」

「まぁ、話したくないなら別にいいけど」

「あっ、ちょっと待ってください!」

 帰ろうとする笠原さんを慌てて呼び止めた。

 そういう態度を取られると、妙に寂しくなる。説明はしたくないし、今は一人になりたい。その反面、誰かに聞いてほしいというのも本音だった。

「ちょっとご相談が……」

 結局、私は笠原さんに全てを話すことにした。おそらく私の性格上、独りで溜め込んでいると抜け出せなくなってしまうから。

先生から結果を告げられたこと、私ではなく宮嶋君が【Pu/t】に選ばれたこと。そして号泣に至った経緯を話した。

私が話し終わるまで、笠原さんは何も言わず、ただ黙って聞いてくれた。

最初は話すだけで涙ぐんでしまって、所々言葉に詰まってしまった。それでも笠原さんは口を閉ざしたまま、真っ直ぐに私を見て相槌(あいづち)を打ってくれるだけ。そのおかげで、悔しさや悲しさは和らいだ気がする。

「宮嶋君が選ばれたのは納得できるんです。でも自分のことになると、納得がいかなくて……笠原さんから見ても、私、やっぱり駄目ですか?」

「あぁ。俺が先生の立場でも、同じ答えだったと思う」

 目の前で胡坐(あぐら)をかいて座っている笠原さんは、清々しいほどの即答だった。

遠回しな言い方も、誤魔化すような言葉も使わないところは笠原さんらしい。全紙の上で正座をしていた私は、おかしさ半分、悲しさ半分で項垂(うなだ)れた。

「具体的に、何がいけないと思います?」

「俺も人に言えるほど、できているとは言えないけど。多分、先生が内野に足りないと判断したのは、気配りと観察力だと思う」

「気配りと観察力……」

「内野って、一つのことに集中すると、周りが見えなくなるところあるだろ?」

 言われたとたん、去年の失敗が蘇った。中心になって作業しろとの指示で、頭が真っ白になった、あの記憶。1年経ったというのに、今思い出しても苦い記憶のままだ。

気をつけていたつもりでも、染みついた思考や行動パターンは、常に意識していない限りそう簡単には直せない。気づけば夢中になって、言われるまで気づかないことが多い。

「それって、致命的ですね……」

「パイロットに必要なのは、全体を見て把握して、冷静に物事を判断できる力なんだと思う。だから、一つのことしか見えていない状態だと、危険に繋(つな)がる」

 だから先生は私を【Pu/t】にするには未熟だと判断した。

泣いてばかりでは見えなかった答えも、こうして冷静になって、一歩下がった場所から見渡せば簡単に見つけることができる。やはり私が選ばれなかったのは当然だったわけだ。

「気配りと観察力……今からでも遅くないなら、身につけたいところです」

「なぁ、内野」

「何ですか?」

「お前さ、家で手伝いとかやってないだろ」

 その言葉には耳が痛かった。

実のところ、今の今まで、手伝いと呼べる手伝いはしていない気がする。母にはそのことで小言を言われてこともあったけれど、勉強が、塾が、習い事が――なんて、そんな理由を作って逃げていた時もあった。いや、むしろ今も逃げているかもしれない。

「ど、どうしてそう思うんですか?」

「行動、見ていたらわかる。あぁ、こいつ何もやってないなって」

「あははっ……」

部活での行動しか見られていないはずなのに、何をどう見れば、それがわかるというのか。“できないオーラ”でも出てしまっているのかもしれない。なんだか急に恥ずかしくなってしまった。

「これは、父さんの受け売りだけど。気配りできるようになりたかったら、部活をやってるんじゃなくて、自分が働いているって置き換えて考えろってさ」

「部活で、ですか?」

「働くってことは“はた(傍)”を“らく(楽)”にすることなんだって。相手が楽に仕事をするには、自分がどうすればいいのか。観察していれば、何も考えなくても自然と動けるようになる」

 そう言うと、笠原さんは立ち上がって私を見下ろした。

「とりあえず。内野は今日、帰ったら家の手伝いをすること。掃除でも洗濯でも料理でも、何でもいい」

「は、はい。あっ、でも、働くとか気配りに何の関係が……?」

「今は言ってもわからないと思うから、とにかく手伝え。それが終わったら俺に報告すること」

 それだけ言って笠原さんは教室を出て行ってしまった。残された私は、静まり返る教室でしばらく座り込んでいた。
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