第5回
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『すげぇー!』
傍で見学していた小学校三年生の男の子たちが、バーナーの点検作業中に吹き上がる炎を見上げて声を揃(そろ)えた。
ある夏休みの日曜日。熱気球の面白さを知ってもらうことを目的に、熱気球部は係留飛行の搭乗体験のボランティアに来ていた。
場所は小学校のグラウンド。風はとても穏やか、空は澄んだ青。それをいっそう惹(ひ)き立てるのは蝉たちの大合唱。
天気良好、夏真っ盛りのBGMをバックに、空からの景色も抜群。まさに飛行日和だ。ただ問題は――
「ねぇ、お兄ちゃん。これ何?」
「えっと……インフレーターだよ」
訊ねられた笠原さんは困った様子で、少し突慳貪(つっけんどん)に返していた。
もともと口下手というか、あまり多くを語るタイプではないだけに、反応が少々薄い。子供たちもどこか不満気。せめて笑顔が完璧なら乗り切れたかもしれない。無理して笑っているせいか、表情が完全に引きつっていた。遠くから見ていた私がハラハラしてしまった。
子供たちと一緒に立ち上げの作業をするのが恒例なのだけれど、笠原さんをはじめ、部員のほとんどが子供たちにどう接していいのかわかっていない。
何でも涼しい顔でこなし、弱点がなさそうな笠原さんが、あたふたしている姿を見たのは初めて。ある意味、新鮮だった。
さすがに上条先生は「先生」が本職だけあって対応に慣れている。単なる高校生でしかない私たちには、無邪気(むじゃき)な子供たち全員を大人しくさせるのは至難の業。
「内野! 球皮広げる作業、頼む!」
子供たちに熱気球の説明をしていた上条先生が、こちらに手を振った。まさかの指名に、心なしか緊張してしまった。先輩たちほどではないけれど、私も子供たちとどう接していいのか掴(つか)めず、手探り状態だった。
それから間もなく。先生が子供たちに何か言ったらしく、20人近くの子供たちがわーっと、私のもとへ駆けてきた。逃げる間もなく取り囲まれて、期待の眼差しが一斉に集められた。
「よ、よし! これから球皮を広げるよ。皆、手伝ってくれる?」
「きゅうひ? お姉ちゃん、なにそれ?」
坊主頭の男の子が、楽しそうにクケケッと笑って訊ねる。
「風船みたいに、大きく膨(ふく)らんでいる部分のことだよ。これを広げないと、いつまで経っても熱気球は飛ばせないからね。急いで広げちゃうよ」
「内野、俺も手伝うね」
「うん、ありがとう」
加勢に来た宮嶋君と2人で、ワゴン車から球皮袋を降ろす。
転がり落ちるように出てきた大きな球皮袋に、子供たちは「おまんじゅうだ!」とか「団子だ!」と大はしゃぎ。
袋から球皮をグラウンドに引きずり出し、広げるところまでが子供たちとの共同作業作。あとはいつもの通り。
子供たちの安全面を考慮して、今回の操縦は上条先生。笠原さんはその補佐。数名ずつ、子供たちを順番に乗せている間、私と宮嶋君は待っている子供たちの遊び相手。
戦隊ごっこに、鬼ごっこ。大抵、私と宮嶋君は悪の手先か鬼の役だった。そうして時間はあっという間に過ぎ、全ての子供たちが乗り終えた頃には、午前11時を過ぎていた。
「はぁ……疲れた」
深めの溜息をつきながら、グラウンドの隅に設置されたブランコに腰かけた。ギィッと錆びついた音を響かせて、鎖がジャララと揺れる。
熱気球の片付けも終わり、今は小休憩。あと30分もすれば昼食の準備が始まる。先生の話によれば、今日は子供たちと一緒に屋外焼き肉だそうだ。宮嶋君曰(いわ)く、夏の屋外焼き肉は定番らしい。
「この真夏日に、外で焼き肉ねぇ……」
鎖に寄りかかりながら、ぼんやりと空を見上げた。
大きな柏の木に囲まれたこの場所は、陽射しが程よく遮られ、心なしか風がひんやりと冷えている。一歩でもここから出れば、真夏の陽射しが容赦(ようしゃ)なく降り注ぐ。
まだ午前中だというのに、すでに気温は30度近く。今年の最高気温を上回ると、天気予報でも言っていたから、もう少し暑くなるかもしれない。
焼き肉を目の前にして、ちゃんと食欲が湧くだろうか。心配を余所に、先輩たちは子供たちと一緒に鬼ごっこをしていた。
グラウンドに響く無邪気(むじゃき)な声を聞きながら、そっと目を閉じた。疲れているのか、そのまま眠ってしまいそうになる。うるさいと思っていた蝉の声も、心地よいとさえ思えた。
「内野、いたいた!」
その声に、意識が引き戻された。
目を開けると、そこには宮嶋君が立っていた。きょとんとする私に、ニッと笑いかけて両手を突き出した。手にはアイスの袋が握られていた。
「先生からの差入れだって。苺とオレンジ、どっちがいい?」
「あ、ありがとう。選んでいいの?」
「いいよ」
「じゃあ、苺味」
受け取った矢先、宮嶋君は隣のブランコに座った。渡し終えたらいなくなると思っていたのに。まさか一緒に食べるつもりなのだろうか。
そっと、横目で様子を窺(うかが)った。やはりここで食べるらしく、宮嶋君はさっそく封を開け始める。「いただきます」なんて律儀に手を合わせて、早々に一口目を口にした。私も急かされるように袋を開けた。
「んー、美味い。内野の苺味、どう?」
「うん、美味しいよ。苺味って、ハズレないよね。宮嶋君のオレンジは?」
「美味い。日本のミカンじゃなくて、外国のオレンジって感じで」
「何それ」
思わず、フッと吹き出してしまった。
「味とか種類? ハッサクとかミカンっていうより、マンダリンオレンジかな」
「マーマレードに使うような?」
「そう、そんな感じ」
部活に入ってから数ヶ月。部活以外のことで、宮嶋君とまともに会話をしたのはこれが初めてだった。同じクラスではあるけれど席は離れているし、部活のこと以外の会話をするほど親しい仲でもなかったから。
この感覚は、何なんだろう。まるでずっと前から知り合いだったみたいに、違和感もなく自然と話せている。
以前から、宮嶋君は不思議な空気を持っている気がしていたけれど、それは間違いではなかった。気まずさも居心地の悪さも、そこにはなかった。
会話が途切れ、食べることに没頭していた時だった。シャリシャリとアイスを噛(か)み砕く音と、蝉の声に混じって、誰かが呼んでいる声が微かに聞こえた。