第9回
「失礼します!」
勢いをつけて飛び込むように、職員のドアを力いっぱい押し開けた。
中に踏み込んだところで、給湯室からカップラーメンを手にした上条先生と遭遇。突然飛び込んできた私に、先生は後ろへ飛び退いて驚いていた。
「内野、どうした!?」
「先生にお願いがあって戻ってきました」
呼吸を整えながら、職員室内を見渡した。日曜日ということもあって、職員室に他の先生の姿はなかった。
「お昼ご飯、終ってからでいいので……聞いてもらえますか?」
「あ、あぁ、わかった。とりあえず、座るか」
先生に促され、職員室の隅に置かれている年季の入ったソファへ移動した。
私は2人掛けの方、先生はガラスのテーブルを挟んだ向かいにある、一人掛けのソファに座った。スプリングが壊れているらしく、先生が座ったとたんにギギッと音がした。
「そんなに慌ててどうした? 何かあったのか?」
そう訊ねながら、先生は持っていたカップラーメンをテーブルに置いた。振動で中のスープが少しこぼれて手にかかったらしく、先生は「熱っ!」と慌てて手を離した。
「だ、大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、ごめん。大丈夫、大丈夫。それで、話したいことって?」
「えっと、【Pu/t】のことなんですけど……私、諦(あきら)めたくないんです。足りない部分はこれから何とかします。だから、【Pu/t】に登録させてください!」
言った、言ってしまった。これでもう、後戻りはできない。そう思うと心臓が張り裂けそうだった。
私には、もうこれしかなかった。こうだと決めたら最後まで貫き通す。わがままだし、無茶を言っていることもわかっている。未熟なことも重々承知の上。それでも、諦(あきら)めて後悔するよりはずっとマシだ。
私にできることは、現状を受け入れて、強引にでも前に進むことだけだった。
「先生、お願いします!」
「んー、そうきたか……」
身を乗り出す私を見つめながら、先生は口を真一文字に結ぶ。小さく唸りながら、困ったように頭を掻いた。
「内野の気持ちは十分わかっているつもりだよ。部活内外での内野を、1年間見てきた上での判断で――」
「嫌です」
「い、嫌って」
「ここで諦(あきら)めたら、何をやっても駄目になってしまう気がするんです! だから……」
こんな時、言葉ほど邪魔なものはない。
初めてフリーフライトを体験したあの時。空の上で感じた想いの全てを、言葉で伝える自信がない。どんなに強い想いでも、必死になって口にするほど、安っぽくて嘘みたいに聞こえてしまう気がして怖かった。
「先生、お願いしますっ」
私は頭を下げた。今、先生はどんな顔をしているだろう。呆れているのか、怒っているのか。沈黙が怖くて、ぎゅっと目を閉じた。
しばらくして聞こえてきたのは、堪えきれなくなって吹き出す声。顔を上げると、先生が肩を揺らして笑っていた。
「な、何がおかしいんですかっ」
「いやぁ、ごめん。こんな頼みごとをしてきたのは内野が初めてだったからな」
「私、真剣なんですけど……」
「わかってるよ。真剣じゃなかったら、こんな行動は起こさないだろうから」
先生は含み笑いながら、カップラーメンの蓋(ふた)を開け、乗せていた割りばしで軽く混ぜ始める。話している内に麺がのびてしまったらしく、カップの中から溢れ出そうになっている。しまったという顔をして、再び蓋(ふた)を閉じた。
「内野を【Pu/t】に選ぶかどうか、正直言うと迷ったんだ。多少未熟な点はあるけど、真面目だし、熱意は伝わっていたからね」
「それでも、決断するには足りない点が多かったんですよね?」
先生は少し躊躇(ためら)うように、一度だけ頷いた。
「【Pu/t】に選んだからには、俺は指導していかなければならないし、個別に記録もつけなきゃならない。たくさん目がついているわけじゃないから、俺が指導できるのはせいぜい2人、多くて3人が限度。その3人目にいたのが内野だった」
「限度である3人目を抱えて指導するかどうか……だったんですね」
「これでも迷って、悩んで出した結果だったんだ。それをお前は――」
どうしてくれんだと言わんばかりに、先生は溜息混じりに笑った。
「内野は、諦(あきら)めたくないんだな?」
「はい。あの時こうしていればよかったって、後悔したくないんです」
「んー……わかった。今回は特別に受け入れるよ」
「……えっ!」
私は思わず立ち上がっていた。その拍子に、膝が硝子のテーブルに思いっきりぶつかった。あまりの痛さに息が詰まって、しばらく言葉が出てこなかった。
「だ、大丈夫かっ!?」
「へ、平気です……それより、さっきの。もしかして【Pu/t】に?」
「最初に言っておく。【Pu/t】になれたからといって、資格試験に受かるわけじゃないってことは覚えておくように。そこは自分の実力だからな。それでもよければの話だ」
よろしくお願いします――そう言って頭を下げたつもりだったのに。
緊張や焦り、不安や悔しさ。色々なものが消えて、緩(ゆる)んでホッとしたせいなのか。気づけば、小さな子供みたいに号泣していた。