天穹のバロン

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2016/12/31

第4回

| by kida

❉❉❉❉  Ⅱ  ❉❉❉❉

 

「今日は内野と宮嶋を中心に準備を進めてくれ」

雲一つない晴天の下。憎らしいほどに、先生はニヤリと不敵に笑った。

私は風船を手にしたまま、宮嶋君はワゴン車のドアに手をかけたまま、先生の一言に固まっていた。どちらからともなく顔を見合わせ、私は苦笑いを返した。

「私たちですか?」

「そう。時間なくなるからな。さっさと始めるぞ~」

 ぐずぐずするなと言わんばかりに、パンパンパンッと、手を打ち合わせた。まるで、餌の時間だと手を叩いて呼び寄せられた子犬の気分だ。

入部から2ヶ月――準備から立ち上げまでの流れは、一通り理解しているつもり。ただ、今までは部長である笠原さんが中心になって進めていたし、私や宮嶋君はその指示のもと動いてきた。まさか、その指示役が回ってくるとは思いもしなかった。

どうすべきか、助けを求めて笠原さんに目をやった。どうしましょうと目で訴えかける私を、笠原さんは一度だけじっと見つめて「頑張れよ」と言いたげな作り笑い。さらりと視線を逸()らされてしまった。

「ど、どうする?」

「どうするって、いつも通りでしょ?」

 戸惑(とまど)う私を余所に、宮嶋君はあっけらかんとしていた。

私が抱えていた風船を取り上げて「飛ばしま~す」なんて、呑気(のんき)な調子で飛ばす。この状況を楽しんでいるような様子を前に、余裕のない自分が情けなく思えてしまった。

「んー、今日も真っ直ぐでいい感じだね。よし、さっさと始めるよ」

「う、うんっ」

 宮嶋君に急かされて準備開始。運び出されたバスケットに入ったのは私だった。いつも笠原さんが立っているその場所に、今は私が立っている。たったそれだけのことなのに、言いようのない緊張が襲ってくる。

 その時、ゴンッと音を立ててバスケットが揺れた。驚いて顔を上げると、笠原さんがバスケットの縁(ふち)にガスボンベを乗せていた。

「内野、手止まってる」

「す、すみません」

 受け取ったガスボンベ4本を、バスケットの隅に専用のベルトで固定。隙間(すきま)なくぴったりと、動かないように固定しなければならない。

筋力がないことは何の自慢にもならないけれど、私にとってはこの作業がもっとも苦労する。引きちぎる勢いで引っ張っても、私の力ではどうにも手間取ってしまう。それぞれを固定し終わる頃には、その日の握力を使い果たしたくらいに、指先に力が入らない。むしろ笑っていた。

「内野、なに休んでんの」

「うわっ、あ、はい!」

 息つく間もなく、先輩たちはバーナーフレームを運んでくる。受け取って、設置して、繋(つな)いで。気づけば、指示を出すどころか作業に追われている有様。

その最中、ふと視線を感じた。いつも一緒に準備をしている先生が、少し離れた場所からこちらの様子を眺めていた。

 

―― これから内野を見て判断することになる

 

 先生が言っていたあの言葉は、すでに始まっている。私と宮嶋君が中心となるよう指示を出したのも、全ては【Pu/t】として相応(ふさわ)しいかどうかを判断するため。

 ビリリッと、痺(しび)れるような緊張感が爪先から脳天へと駆け抜ける。忙(せわ)しなく鳴いている蝉の声がやけに大きく聞こえ、不安を煽(あお)っていった。

「内野、次の指示」  

 呆然としていた私に、笠原さんが小声で言った。そんな言葉でさえ、心臓に突き刺さるような痛みを覚えた。 

「――えっ、はい! えっと、次は球皮を」

「違う」

 バスケットから出ようと足をかけたところで、笠原さんに止められた。

無言のまま、頭上のバーナーを指差されたけれど、それが何を意味するのかわからない。ぼんやりと見つめるだけ。わかっているはずなのに、何も出て来ない。完全に頭が真っ白になった。

「……」

「バーナーの点検」

「っ! そ、そうでした!」

言葉に突き動かされるまま、私はレバーを引いた。

 突然の轟音(ごうおん)に、宮嶋君や先輩たちは驚いて振り返る。それ以上に驚いたのは私の方。慌てて手を離した反動でバランスを崩し、転びそうになりながらバスケットにしがみついた。

「こ、声かけてから、でしたよね……」

誰もが作業の手を止め、数秒の沈黙が流れた。これほど気まずい空気を味わったのは初めてだった。

 それからの時間は最悪そのもの。中心になって準備するどころか、気がつけば笠原さんと宮嶋君の指示に従いながら作業を終えていた。

 この2ヶ月、私は何をしてきたのだろう。その言葉が脳裏に焼きついて離れなかった。

 

❉❉❉❉

 

 その日のお昼休み――

「莉緒(りお)、具合でも悪いの?」

 かけられたその声で、私は我に返った。向いに座っている真菜(まな)と千鶴(ちづる)が、心配そうに顔を覗(のぞ)き込んでいた。

「う、ううん、大丈夫だよ」

「でも、さっきからぼーっとしてるよ?」

「何かあった?」

 何も。そう言かけて、出たのは溜息(ためいき)。とたんに、今朝の部活での失敗が蘇(よみがえ)って、表情は苦々しく歪(ゆが)んでいった。

 手元には今日の給食が置かれている。メニューはビーフシチューと、30センチはあろうかという長い揚げパン、ツナサラダ、デザートにはミルクプリン。淡いグリーンのトレイに並んだその料理を前にしても、私の食欲はいっこうに湧()いてこない。

 シチューの器に沈んだスプーンは、ただただそれをかき混ぜるだけ。ほんのり温かかった揚げパンも、すっかり冷めて固くなり始めていた。

「実はね……今日、部活で色々失敗しちゃって」

「それで元気なかったの?」

 真菜の問いに頷きつつ、ようやくシチューを一口。もう少し温かくて、私に食欲があれば、もっと美味しく感じられたかもしれない。

再びスプーンを置いて、器の中でくるくるとかき混ぜる。千鶴は笑い飛ばしながら、私の肩を叩いた。

「失敗くらい誰でもあるって。気にした方が負けだよ? もっと楽に考えなよ」

「うん、それはわかってるんだけど……」

 はっきりしない私に、千鶴は「仕方ないなぁ」と、自分のミルクプリンをくれた。「甘いもの食べると幸せな気分になるよ~」って。そういう千鶴の明るさに、少し気持ちが楽になった。

「それで? 部活でどんな失敗したの?」

「……色々」

「色々? ほら、話した方が楽になるんだから」

 何でも聞くよと、千鶴は前のめりになる。

 あれも、これも。今日の失敗の全てを口にしたら、それこそ立ち直れなくなりそうだった。ひょっとしたら泣いてしまうかもしれない。それだけは避けるため、言葉を濁(にご)すことにした。

「本当はね、もっとちゃんとできることがあると思ってたの。でも、想像以上に何も身についてなかったんだって、思い知らされた気がして……」

「莉緒。そこまで部活に入れ込む必要ないんじゃない?」

 真菜はさらりと、少し冷たいとさえ思うくらいに、淡々とした口調で言い放った。

3ヶ月は辞められない決まりだから、今すぐは無理だと思うけど。期間が過ぎたら、とりあえず帰宅部に戻ったらどう?」

「帰宅部、ねぇ……」

「辛いだけの部活なんて、他に影響するから辞めた方がいいと思うわ」

現実主義な真菜らしい考えだった。

入学してまだ数ヶ月だというのに、真菜はすでに卒業後の進路も見据(みす)えている。幼稚園教諭の資格を取りたいからと、必要な習い事をたくさんしているらしい。

部活に打ち込んでいる暇がないという理由で、選んだ部活は廃部寸前の写真部。もちろん興味があったわけでも、写真が好きだったわけでもない。部員が少なく、活動自体もほぼ無いに等しいことから、3ヶ月後には辞めやすいだろうという計画的なものだった。

「千鶴も、辞めた方がいいと思う?」

「まぁね。私、そういう面倒なこと苦手だから。もし辞めるなら、家庭部おいでよ。毎週、色んなお菓子作れるから楽しいよ」

と、千鶴は今日の部活で作ることになっている、ベイクド・チーズケーキの本を見せてくれた。こんがり焼き色のついたチーズの生地(きじ)が、なんとも美味しそう。

「先輩たちは優しいし、お菓子作りは楽しいし。莉緒、家庭部おいでよ」

「せっかくだけど……熱気球部活を辞めるつもりはないんだよね」

「熱気球に思い入れでもあるの?」

「えっと、うん……まぁ。ちょっとね」

「わかった! 好きな人がいるから辞められないんでしょ!」

 千鶴は私の顔を指差してニヤリとし、真菜は「そういうことね」と、納得したように何度も頷いた。

「ち、違うよっ! いない、いない」

「否定するところが逆に怪しい。誰よ?」

「部員って、誰がいたっけ?」

 真菜は揚げパンを小さく千切り、頬張りながら首を傾(かし)げた。

「私と宮嶋君以外は、2年生の先輩しかいないよ」

「宮嶋? それって、宮嶋春斗(はると)のこと?」

 その名前を聞いた千鶴は、教室内をゆっくりと見渡した。窓際の最後尾の席で、友人たちと騒いでいる宮嶋君を見つけるなり、何度も首を横に振った。

「あぁ、あいつはないわ。男として意識できない」

「今は男子といることが多くなったけど、中学までは女子とばかり行動してたから、なおさらだよね」

「そうなの?」

 2人は『うん』と、声を揃(そろ)えた。

「私も真菜も、宮嶋とは幼稚園から一緒なの。その頃からなんだけど、女子の中にいる方が違和感なかったんだよね」

「むしろ、男子といる方が不思議なくらいだったよね。だから、私たちも半分“同性”だと思って接していたくらいだし」

「まさか莉緒、宮嶋のこと?」

 信じられないと言った顔で、千鶴が私を見る。変に誤解されると、宮嶋君にも迷惑がかかりそう。ここはお互いのためと思って、きっぱり否定した。

「違うから! とにかく、部活のことはね……一度始めると、最後までやらないと気が済まないっていうか。簡単に諦(あきら)められない性格だったりするわけよ。だから、ね」

 それ以上は何も言えなかった。

 パイロットの資格を取りたいだとか、子供の頃に搭乗した時の感動、その想いを話したら2人はどんな顔をするだろう。たかが部活に、何をそんなに熱くなることがあるのかと、呆(あき)れるだろうか。

 部活で何もできなかった情けなさに加えて、自分が何をしたいのか、何に夢中になって目標としているのか。胸を張って堂々と言えないことが情けない。

自分が信じているもの

追いかけているもの

それを口にするのが怖いのは、自分に自信がないから。相手にどう思われるのか気にしているから躊躇(ためら)うんだ。恥ずかしいと思われることなんて、何もしていないのに――

「色々と、難しいよね……」

 もどかしさを味わいながら、再び溜息がもれる。シチューに沈んだスプーンは、相変わらずかき混ぜるだけだった。
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