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2016/12/31

第6回

| by kida

子供たちと一緒に鬼ごっこをしている先輩が、私と宮嶋君に向って手招きをしている。全てを聞き取ることはできなかったけれど、どうやら人数が足りないから私と宮嶋君も参加しろと言っているらしい。

 宮嶋君は大きく手を振り返してから、残っていたアイスをあっという間に平らげた。

「ごちそうさま。内野も行かない?」

「鬼ごっこ? 私はいいよ。もう少し、ここで休んでるから」

「そう? じゃあ、俺は参加してくるよ」

 ヒラヒラと手を振りながら、宮嶋君は子供たちのもとへ駆けて行く。その姿を眺めていると――

「内野さんも、混ざってきたらどうだい?」

 そこへやってきたのは、笠原さんのお父さん。土日の部活には必ず足を運んで、部の活動写真を撮ってくれている。熱気球部では有名な名物お父さんだった。

 本業は畑作農家。その傍ら陶芸家としても活動していて、時々、個展を開いたりもしているらしい。

三ヶ月くらい前だっただろうか。廃校になった小学校で、熱気球の写真と、それをイメージした陶芸作品の個展を開いたと、地方紙の新聞に取り上げられているのを見た覚えがある。

「行かないの?」

「ちょっと疲れちゃって。そうだ、今日は良い写真撮れました?」

「もちろん。今日は素敵な写真が撮れたよ」

 そう言って、さっきまで宮嶋君が座っていたブランコに腰掛けた。首に下げている一眼レフのデジタルカメラを私に差し出し、保存されているデータを見せてくれた。

そこに映っていたのは私。子供たちと球皮袋を運んだ、あの時の写真だった。自分で見るのも恥ずかしくなるくらい、そこにいる私は満面の笑顔だった。

「素敵でしょ? こういう笑顔はね、みんなが居る場所で、もっとたくさん見せた方がいいものだと思うんだよ」

「こんな日陰のブランコにいたら、駄目ですよね」

性格とは厄介で、持って生まれたものはそう簡単には変えられない。歩み寄りたくても二の足を踏んで、そうしている内に踏み出すことすら怖くなってしまう。傷つくくらいならこのままでいい。そしていつも、前に進めなくなっている。

「私、宮嶋君が羨ましいです。あっという間に輪の中にとけ込んでしまうじゃないですか? 何の違和感もなく。ずっと前からそこに居たみたいに」

「あれは天性のものだろうね。相手を警戒させない、柔らかい雰囲気は意識して出せるものではないからね。でも、真似くらいならできるかもしれないね。内野さんもやってみたらどうだい?」

「無理ですよ。そういう性格じゃないですから。でも、宮嶋君みたいに誰とでも接することができたら楽しいだろうなって、見ていると時々思うんです」

「そう思っているなら大丈夫。いつかちゃんと、行動を起こせる時が必ず来るよ」

 何の根拠があるのだろうか。怪訝(けげん)な顔を向ける私に、おじさんはニッと笑って、グラウンドの方へ視線を向けた。

「うちの息子、凌太のことだけど。内野さんには、息子はどんなふうに見える?」

「笠原さんですか?」

グラウンドで子供たちと走り回っている笠原さんを目で追った。午前中まではぎこちなかったのに、今はごく自然に笑っている。子供たちの無邪気さが移ったのではないか、そう思うくらい楽しそうで、見ている私もつい含み笑ってしまった。

「口数は少ないですけど、その分、やるべきことは行動で示すというか。ちょっとやそっとのことじゃ折れない、強い人ってイメージです。身体的な面ではなくて、内面的な強さでしょうか」

「そう見えるなら、親としては嬉しい限りだね。でもね、凌太はああ見えても繊細というか、考え過ぎてしまうところがあって。中学の時、半年ほど学校に行かなくなった時期があったんだ」

「そ、そうなんですか?」

信じられない。驚き過ぎて、発した声は見事に裏返った。

笠原さんは「よほどのことが無い限りは休まない」と入学前から宣言していたらしく、その言葉通り、今まで一度も学校を休んだことがないと、上条先生が言っていた。

 熱があって体調が優れないのに、平然とした顔で登校するくらい根性がある笠原さんに、そんな時期があったなんて知らなかった。

半年の間であっても、友達や外の人たちとの接触を断っていれば、誰だって壁を作ってしまう。意識的にそれを隠していたとしても、一度できた壁を壊すのは、他者であっても本人であっても難しい。でも笠原さんからは、そんな雰囲気は少しも感じなかった。

「もしかして。私のこと、からかってます?」

「いや、本当のことなんだよ。僕も、あの時間が嘘だったんじゃないかって、時々思うんだけどね――あっ、内野さん。溶けてる、溶けてる!」

おじさんは私を見るなり指差した。話をするのに夢中になって、持っていたアイスのことをすっかり忘れていた。

暑さで溶けたアイスは、いつの間にか指先を伝って地面に苺味のミルク溜まりを作っていた。私は慌てて溶けたアイスを食べた。

「それで……笠原さんは、どうして学校に行かなくなっちゃったんですか?」

「僕にも未だにわからないんだ。聞いても“今はもうどうでもいいことだ”って、話してくれないし」

「嫌なことでもあったんでしょうか?」

「どうなんだろうね。親の僕から見ても成績は良かったし、勉強が嫌いだったわけでもないみたいなんだ」

「苦手な友達でもいたとか?」

 その問いに、おじさんは「うーん」と唸(うな)りながら首を傾(かし)げた。

「僕もそれを考えていたんだけどね。でも、学校へ行かなくなってから、代わるがわる違う子が毎日家に遊びに来ていたし、凌太も楽しそうにしていたからね。きっと“何となく”行きたくなくなったんだと思う。小さい頃からそういうところがあったから」

「特に理由はないってことですか?」

「おそらく、としか言いようがないかな」

私には、何となくわかる気がした。

本当に時々。不安や焦りみたいなものが腹の奥底にあって、それが何なのか、どうしてそれが気になるのか、いくら考えても明確な答えが見つけられない時がある。

悩みながら答えを探している内に、何もかもがどうでもよくなってしまう瞬間がある。考えることすら面倒になって、気力がどこかへ行ってしまう。きっと、笠原さんはそれを感じた瞬間があったのかもしれない。

「もしかしたら、凌太はこのままなのかなって覚悟していたよ。でも凌太の中で、変わらなければ駄目だと思った瞬間があったんだろうね。ある日突然、熱気球のパイロット免許が取りたいから、上高を受験するって言い出したんだよ」

「本当、突然ですね」

「本当にね」

 苦笑いを浮かべながらも、笠原さんを見つめる目は優しくて、安堵(あんど)しているように見えた。

「きっとね、何かを掴(つか)みたいと思った時は、待っているだけじゃ駄目なんだよ。自分の足で向かって、自分の手を伸ばして掴まないといけない」

「自分の手を伸ばして……」

 呪文を唱えるみたいに、私はその言葉をくり返した。その度に、胸がズキズキと痛んだ。

私は、自分が変わるために歩くのではなく、無意識の内に周りが変わるのを待っていた。そうしている方が楽だから。でも、それではいつまで経っても、何も変わらない。

自分が変わろうとすることが私には必要不可欠。おじさんはそれを伝えたかったのだろう。ただ、言葉で言うほど、それは簡単なことではない。

必要なのは踏み出す勇気。引っ込み思案な人間にとっては、この一歩が途轍(とてつ)もなく大きなものに感じた。

「おじさん。私も、変わることってできるでしょうか?」

「変わりたいと思っている人は必ず変われるものだよ。変わらない人は、変わりたいとすら考えないからね」

 私は残りのアイスを強引に口へ押し込んだ。とたんに、キーンッと痺れるような痛みが頭を駆け抜ける。眉間のあたりを指先で叩きながら、ブランコから立ち上がった。

「私、ちょっと走ってきます」

「うん、行っておいで」

 アイスの棒を袋で包み、それをポケットに押し込む。よしっと、自分に気合を入れて、走り回って遊んでいる子供たちのもとへ駆け出した。
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