天穹のバロン

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2016/12/31

第9回

| by kida

 

「失礼します!」

 勢いをつけて飛び込むように、職員のドアを力いっぱい押し開けた。

中に踏み込んだところで、給湯室からカップラーメンを手にした上条先生と遭遇。突然飛び込んできた私に、先生は後ろへ飛び退いて驚いていた。

「内野、どうした!?

「先生にお願いがあって戻ってきました」

 呼吸を整えながら、職員室内を見渡した。日曜日ということもあって、職員室に他の先生の姿はなかった。

「お昼ご飯、終ってからでいいので……聞いてもらえますか?」

「あ、あぁ、わかった。とりあえず、座るか」

 先生に促され、職員室の隅に置かれている年季の入ったソファへ移動した。

私は2人掛けの方、先生はガラスのテーブルを挟んだ向かいにある、一人掛けのソファに座った。スプリングが壊れているらしく、先生が座ったとたんにギギッと音がした。

「そんなに慌ててどうした? 何かあったのか?」

 そう訊ねながら、先生は持っていたカップラーメンをテーブルに置いた。振動で中のスープが少しこぼれて手にかかったらしく、先生は「熱っ!」と慌てて手を離した。

「だ、大丈夫ですか?」

「ん? あぁ、ごめん。大丈夫、大丈夫。それで、話したいことって?」

「えっと、【Pu/t】のことなんですけど……私、諦(あきら)めたくないんです。足りない部分はこれから何とかします。だから、【Pu/t】に登録させてください!」

 言った、言ってしまった。これでもう、後戻りはできない。そう思うと心臓が張り裂けそうだった。

 私には、もうこれしかなかった。こうだと決めたら最後まで貫き通す。わがままだし、無茶を言っていることもわかっている。未熟なことも重々承知の上。それでも、諦(あきら)めて後悔するよりはずっとマシだ。

私にできることは、現状を受け入れて、強引にでも前に進むことだけだった。

「先生、お願いします!」

「んー、そうきたか……」

 身を乗り出す私を見つめながら、先生は口を真一文字に結ぶ。小さく唸りながら、困ったように頭を掻いた。

「内野の気持ちは十分わかっているつもりだよ。部活内外での内野を、1年間見てきた上での判断で――」

「嫌です」

「い、嫌って」

「ここで諦(あきら)めたら、何をやっても駄目になってしまう気がするんです! だから……」

 こんな時、言葉ほど邪魔なものはない。

 初めてフリーフライトを体験したあの時。空の上で感じた想いの全てを、言葉で伝える自信がない。どんなに強い想いでも、必死になって口にするほど、安っぽくて嘘みたいに聞こえてしまう気がして怖かった。

「先生、お願いしますっ」

 私は頭を下げた。今、先生はどんな顔をしているだろう。呆れているのか、怒っているのか。沈黙が怖くて、ぎゅっと目を閉じた。

しばらくして聞こえてきたのは、堪えきれなくなって吹き出す声。顔を上げると、先生が肩を揺らして笑っていた。

「な、何がおかしいんですかっ」

「いやぁ、ごめん。こんな頼みごとをしてきたのは内野が初めてだったからな」

「私、真剣なんですけど……」

「わかってるよ。真剣じゃなかったら、こんな行動は起こさないだろうから」

 先生は含み笑いながら、カップラーメンの蓋(ふた)を開け、乗せていた割りばしで軽く混ぜ始める。話している内に麺がのびてしまったらしく、カップの中から溢れ出そうになっている。しまったという顔をして、再び蓋(ふた)を閉じた。

「内野を【Pu/t】に選ぶかどうか、正直言うと迷ったんだ。多少未熟な点はあるけど、真面目だし、熱意は伝わっていたからね」

「それでも、決断するには足りない点が多かったんですよね?」

 先生は少し躊躇(ためら)うように、一度だけ頷いた。

「【Pu/t】に選んだからには、俺は指導していかなければならないし、個別に記録もつけなきゃならない。たくさん目がついているわけじゃないから、俺が指導できるのはせいぜい2人、多くて3人が限度。その3人目にいたのが内野だった」

「限度である3人目を抱えて指導するかどうか……だったんですね」

「これでも迷って、悩んで出した結果だったんだ。それをお前は――」

 どうしてくれんだと言わんばかりに、先生は溜息混じりに笑った。

「内野は、諦(あきら)めたくないんだな?」

「はい。あの時こうしていればよかったって、後悔したくないんです」

「んー……わかった。今回は特別に受け入れるよ」

「……えっ!」

 私は思わず立ち上がっていた。その拍子に、膝が硝子のテーブルに思いっきりぶつかった。あまりの痛さに息が詰まって、しばらく言葉が出てこなかった。

「だ、大丈夫かっ!?

「へ、平気です……それより、さっきの。もしかして【Pu/t】に?」

「最初に言っておく。【Pu/t】になれたからといって、資格試験に受かるわけじゃないってことは覚えておくように。そこは自分の実力だからな。それでもよければの話だ」

 よろしくお願いします――そう言って頭を下げたつもりだったのに。

緊張や焦り、不安や悔しさ。色々なものが消えて、緩(ゆる)んでホッとしたせいなのか。気づけば、小さな子供みたいに号泣していた。


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